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- FASHION COLUMN(ファッションコラム)

すでに私達のまわりは必要以上の物であふれている」と言われています。 たしかに物を単純に物として見るだけならばそうだと思います。また、「誰が作ったの、どこで作ったの」という不安もよく耳にします。食品問題など、いくつかの倫理性を欠いた企業のニュースを目の当たりにすれば、これも理解できます。一方で、温暖化問題など地球レベル課題が生じています。解決法は簡単ではありませんが、作る人、売る人、使う人が共に商品、サービスとその開発プロセスや環境を直視すべき時代を迎えています。
しかし、人々は、物やサービスに対して、単なる便益だけでなく、物やサービスに内在する「気分」や「デザイン性の楽しみ」「物や事を通しての幸福感」を求めています。スマート・ショッピング(賢いお買い物)も強まっていますいま、スタイリッシュ・プロダクティビティ(洗練された商品政策)の時代と言われていますが、皆さんと一緒に、「デザインの本質」を再考してみたいと思います。
デザインは喜びを内在する
いま、生活者は「自分自身のライフ・デザイナー」です。いろいろな生活パーツを自分の気分で組み立てる。そして「自分仕様」が完成します。パーツを与えられるだけでなく、自分のコーディネート・センスで、いかようにも自分環境は変化します。
「デザインはクオリティ、センスはステイタス」と言われる時代だからこそ、人々は物のデザイン性を重視し始めています。デザインの役割に「人々の暮らしを豊にする」と言うことがありますが、私達は時代の気分だけでなく、自分を高揚させ、ハッピーにしてくれものとしてデザイン性に触れています。
人間の本質はネオフェリック、いわば新もの好きとも言われています。情報社会が現実のものとなった今、人々は「デザイン」や「デザインされた物」に、今まで以上の興味を持ち始めています。
思わず「ワオ!」と言ってしまいそうなアイスクリーム・スプーン。近頃ファイン・レストランよりファン・レストラン(楽しいレストラン)の時代と言われています。気の置けない仲間との「うち来る?ダイニング」。手作りのデザート・アイスクリームには、楽しさいっぱいのスプーンで食べてもらいたいもの。きっと食後談も華やぐでしょう。
デザインの心地よさ
人々をハッとさせ、エキサイティングにしてくれるのもデザインの役割です。一方でその存在までも忘れさせるほど環境に融け込んでいたり、人々を精神的に、あるいは物理的に癒してくれるものもあります。花鳥風月、よく手入れされた庭園などもそれと言えます。あるいは自然界の「ゆらぎの理論 ―― ホロニクス」もあります。ホロニクスとはいわば、波の満ち引きの音や、手入れされた森や並木、水田の風景、鉄道の振動などもその一つ。これらの構成は一つ一つが同じようでも、決して同一のものは有りません。しかし繰り返すリズムをもっています。この自然の揺らぎ感が人の心を癒してくれるのです。
しかし、こんな自然なものだけでなく人がデザインしたものにも、人々を癒し、あるいは心地よさを与えてくれるものがあります。
特に、エルゴノミクス・デザインは大事です。いわば人間工学に基づいたデザインと言えます。「そのデザインは自然人としての人に優しいですか」というものです。ただ柔らかいだけのシートの自動車は長距離、乗るととても疲れることがあります。微妙な、隠れた計算がデザインの心地よさを生むことが少なくありません。
高原の涼しい風に吹かれて、ススキの野原を見れば、何か都会の喧騒を忘れます。ここに私達のデザイニングの大きなヒントが隠されています。
同じように見えて、同じでない。程よい硬さとホールディングが安全で快適なドライビングを保証してくれます。
デザインの便益や機能性もスタイリッシュに
私達は、暮らしの中で、多くの製品の機能の恩恵をうけています。普通に生活しようとすれば、冷蔵庫や掃除機、そして洗濯機などが必要でしょう。 ヨーロッパではエアコンの無い家庭は多いようですが(地域によってはあまり必要ありません)。しかし、いま記した、いわゆる「白物家電(家庭家電の総称)」はどこでも生活の必需品といえます。冷蔵庫などは、日本でもこれが家庭の必需品になってから、色々な産地の食材が流通し始めたと言っても過言ではありません。家庭の貯蔵に難があったから、遠い産地の食材は流通していなかった時代もあったのです。昔は地産地消の時代が長く続きました。
ところで、ものの機能性は、ユーザビリティ(使い勝手)が良いかが基本です。機能性デザインの世界では、いままで気づかなかった問題解決も可能になってくるでしょう。しかし、機能性商品は機能の追求そのものがデザイン性の帰結になることもあります。あるいは、同じ機能を違ったデザインで楽しむなど、生産財と消費財の根本的な違いは、機能性が優れたデザインでパッケージングされているか否かですが、生活財ではデザインを消費する時代を迎えています。
カーデザインで有名な企業がデザインしたミラノの路面電車。古い町並みに、斬新で明るいパノラマ感覚が素敵です。外見だけでなく、床を低くして、お年寄りや子供にも優しい設計が嬉しいですね。機能性とデザインのスタイリッシュ感を融合させる時代を迎えています。
デザイン活動の社会性
明治の時代を迎えるまで、日本では、着るもの、髪型などで人々の身分は分かりました。身分制度の無い今でも、服装などで、いくらかの職業などは分かるかも知れませんね。「人は制服のとおりの人間になる」と言ったのはナポレオンでしたし、「人は服装で雇用され、能力で解雇される」と言ったのはシェークスピアでした。当時から外見が重要だったのですね。
ところで、時代は変わり、今、物づくりの社会性も問われています。それは社会に役立つのか。新しい負荷を与えていないか。誰にも優しいか。プロダクト・ライフ・サイクルを考えているか。「エシカル――倫理性」に富んでいるか。 誰にも使える、誰でも治せるプロダクトか。時代を超えたモラル感があるか。 物づくりプロセスは、正しいデザイン・ストーリーかなど、インプットからアウトプットまで、あるいはデザイン・ソフトからデザインのハードまで、社会性が問われる時代を迎えています。
「車椅子で飛ばしてどこが悪い」そうです、そうです。ハンデキャッパーの皆さんも、暮らしをスポーツしましょう。 物の開発で近頃大事なことは「プリンシプル ―― いわば 主義や考え方の美学」だと思います。ファッションだって、インダストリアルデザインだって、人々の暮らしの期待とソリューションに目をむけ、そしてその製品の役割と開発プロセス、製品の最後までを見据えたインベストメント・プロダクト(投資価値のある製品)づくりに留意すべきであると思います。
デザインの普遍性と不変性
デザインを日本語に直訳すれば「意匠」です。「意」想いを、「匠」形にするということです。であればなんでも新しいものが良いかといえばそうはいきません。交通標識など、行く度に新しくなっていたり、「うちの国はデザイン志向だから、エッジの効いたデザインでドライバーに応えよう」では、国際免許を持っていたって運転ができません。
ところで、個人や社会の変化の中で、人々の心地よさや使い勝手の行き着くところが「トラディショナル(伝統的)」だと思われます。 外見が複雑にできている歴史的な教会なども、内部の配置構造はシンプルです。自動車でも、アクセルとブレーキの場所が車ごとに違っていたら、事故ばかり起こるでしょう。(その昔、英国のオートバイのフットブレーキは左、チェンジギアは右でした。他国のバイクに乗っていた人は、慣れないと怖いです)
アロハシャツがアロハシャツであり続け、ジャケットに衿がついているものいわば現代の価値観で行き着いたところと言えるでしょう。普遍性と不変性の中で、次代の空気を取り込み、変化を楽しませようというわけですから、ファッションデザイナーという人々も尊敬に値しますね。
いま、低く暮らすというムーブメントが起きています。そして世界では「和感覚」にあつい目線が送られています。和感覚とはいわば現代のエキゾチズム。若い世代には新鮮な響とテイストを提供するものになっています。 ファッションでも、改めて世界のトラディショナリズムの取り込みを考えてみたいですね。
デザインのコミュニケーション性、スタイリッシュが必要条件
デザイン性を楽しむ時代です。「スタイリッシュに生きる」が大事です。これは、自分の個性を無くすということではありません。自分の個性を発揮しながら、生活デザインや、装いを楽しもうということです。 世界遺産になっている都市がありますが、どこも個性があって、歴史的な都市でありながら調和がありスタイリッシュです。新しさや古さを超えた価値観と主張で溢れています。
私達、個人の装いも同様です。装いがつくる外見はコミュニケーションの大きなポイントです。趣味性が読み取れます。そしてそれだけでなく自分の気分を装いで変えることができます。あるいは自分を解放するだけでなく、自分の装いで他人を解放させることもできます。
華やいだ場であれば、自分も華やぐことで、皆も一層、華やいだ気持ちになります。改めて、時代が求めるTPO(時・場所・場合)に注目です。
日常性でもなく非日常性でもない、脱日常の時間。暮らしにはいわば「カフェ」な時間があります。
齢をとっても若々しく、「チョイ悪で、また、チョイ軽い」こんな時代です。だから、年齢にこだわらずTOPを楽しみたいものです。こんな時こそカフェルック。ウイットと洒落たセンスのカジュアル・ファッションで会話を弾ませたいですね。
ファッション審議副院長
生田目 正義

